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細胞生物学
がん治療
2025/11/9
がんと免疫細胞の間でミトコンドリアが移動しているらしいぞ!

がんと免疫細胞の間でミトコンドリアが移動しているらしいぞ!

はじめに

中学や高校で細胞膜の中にはDNAを格納する核や液胞、小胞体、ミトコンドリアなど様々なオルガネラが含まれていることを習ってきました。今回はそのオルガネラの1つであるミトコンドリアがどうやら細胞間を移動できるらしいぞ、とりわけがんと免疫細胞での移動に焦点を絞って話をしていきたいと思います。

そもそもミトコンドリアって何?どんな役割を担っているの?

ミトコンドリアは、細胞の中に含まれている細胞小器官(オルガネラ)の1つです。ミトコンドリアは糖を分解してATP(アデノシン三リン酸)というエネルギーに変換してくれます。この時、解糖系、クエン酸サイクル、電子伝達系と呼ばれるものを通って、グルコース1分子から最大38個のATPを作ることができます(理論値。実際は約32個)。このエネルギーは酸素を利用して作られています。酸素がない環境では解糖系のみで2ATPしか作れないことを考慮すると、ミトコンドリアがどれだけ効率的にエネルギーを生み出しているかがわかります!

ミトコンドリアは太古の昔、ある細胞の中に入り込んで共生して今のような形になったと考えられており(細胞内共生説)、独自のDNA(mtDNA)を持っています。そして本題ですが、このミトコンドリアが細胞間を移動しているという驚きの現象が発見されているのです。

ミトコンドリアってどうやって移動するの?

主に2つの経路があります:

  1. トンネリングナノチューブ(TNT):細胞同士をつなぐ小さなチューブ状のトンネル(図1)
  2. 細胞外小胞(EV):細胞が放出する小さなバブル(エクソソームもこの一種)(図2)
トンネリングナノチューブ(TNT)

図1:トンネリングナノチューブによるミトコンドリアの転移

細胞外小胞(EV)

図2:細胞外小胞によるミトコンドリアの転移

ミトコンドリアは単独で外をうろつくのではなく、これらの構造で保護された状態で移動します。

がん細胞とミトコンドリア転移:最新研究から見えてきたこと

最近の研究で、がん細胞と免疫細胞の間でミトコンドリアが双方向に移動している可能性が報告されています。

2022年にNature Nanotechnology誌に掲載されたSahaらの研究では、T細胞からがん細胞へミトコンドリアが転移する現象が観察されました(図3)。興味深いことに、ミトコンドリアを受け取ったがん細胞では代謝活性が向上する傾向が見られ、一方でミトコンドリアを失ったT細胞側では抗腫瘍機能の低下が観察されたとのことです。

T細胞からがん細胞へのミトコンドリア転移

図3:T細胞からがん細胞へのミトコンドリア転移(Sahaら, 2022)

さらに2025年のNature誌に掲載されたIkedaらの研究では、逆方向の転移も報告されています(図4)。この研究では、がん細胞由来のmtDNA(ミトコンドリア独自のDNA)変異を持つミトコンドリアがT細胞内で検出され、そのようなミトコンドリアを持つT細胞では機能低下の兆候が見られたそうです。また、免疫チェックポイント阻害薬への反応性が低下する可能性も示唆されています。

がん細胞からT細胞へのミトコンドリア転移

図4:がん細胞からT細胞へのミトコンドリア転移(Ikedaら, 2025)

ただし、これらの研究はまだ初期段階であり、実際の患者さんの体内で同じ現象がどの程度起きているかは更なる検証が必要です。転移の方向性や頻度も、がんの種類や進行度、腫瘍微小環境の状態などによって異なる可能性があります。

このミトコンドリア転移という現象は、がんが免疫系を回避する新たなメカニズムの一つかもしれませんが、それを確定するにはまだ多くの研究が必要でしょう。

終わりに

ミトコンドリア転移の発見は、がん治療の新たな標的となる可能性を秘めています。実際、細胞外小胞の放出を阻害することで、がんの悪性度が低下する傾向が確認されたという報告もあります。

細胞の中の小さな発電所だと思っていたミトコンドリアが、まさか細胞間を旅しているなんて、生命の不思議さには本当に驚かされますね。今後、このミトコンドリアの移動を利用した新しい治療法が開発される日が来るかもしれません。

最新の研究動向を見守りつつ、また面白い発見があったらお伝えしたいと思います。

それではまた!

用語解説

オルガネラ(細胞小器官) 細胞内で特定の機能を持つ構造体のこと。ミトコンドリア、核、小胞体、ゴルジ体などがある。

ATP(アデノシン三リン酸) 生体内でエネルギーの「通貨」として使われる分子。筋肉の収縮、神経伝達、タンパク質合成など、あらゆる生命活動に必要。

解糖系・クエン酸サイクル・電子伝達系 糖からATPを作る3つの段階。解糖系は細胞質で、クエン酸サイクルと電子伝達系はミトコンドリア内で行われる。

細胞内共生説 ミトコンドリアや葉緑体が、太古の昔に別の生物として存在していたものが細胞内に取り込まれて共生するようになったという説。

mtDNA(ミトコンドリアDNA) ミトコンドリアが独自に持つDNA。核内のDNAとは別に存在し、主にエネルギー産生に関わる遺伝子をコードしている。

トンネリングナノチューブ(TNT) 細胞同士を直接つなぐ細い管状の構造。直径50-200ナノメートル程度で、タンパク質や小器官の輸送路として機能する。

細胞外小胞(EV: Extracellular Vesicle) 細胞が分泌する膜に包まれた小さな粒子の総称。エクソソーム(30-150nm)やマイクロベジクル(100-1000nm)などが含まれる。

T細胞 白血球の一種で、免疫系の司令塔的な役割を持つ。ウイルスに感染した細胞やがん細胞を直接攻撃したり、他の免疫細胞に指令を出したりする。

免疫チェックポイント阻害薬 がん細胞が免疫系から逃れるために使う「ブレーキ」を解除する薬。ノーベル賞を受賞した本庶佑先生のPD-1研究が有名。

腫瘍微小環境 がん細胞の周りの環境のこと。免疫細胞、血管、線維芽細胞などが含まれ、がんの成長や転移に大きく影響する。

Capillarist

Capillarist

都内の大学で研究活動を行っている大学院生。 専門は「細胞を組み立てて理解する」組織工学。 科学をわかりやすく伝えることを目指しています。