
「サイエンスが好きだったはずなのに、なんか違う」と感じるあなたへ
⸻
はじめに
どうも!キャピラリストです。 今回は普段とは少しテイストの違う話をしようと思います。
突然ですが、こんな経験はありませんか?
幼い頃からサイエンスが面白いと思ってきた。高校で理系を選び、大学で学部を選び、研究室を選んだ。どの選択も「面白そう」が原動力だった。でも、いざ研究を始めてみると「あれ、なんか違うかも」と感じてしまう──。
筆者自身、この違和感を抱えたことがあります。そしてこの違和感の正体について考えるうちに、ひとつの仮説にたどり着きました。
それは、私たちが惹かれたサイエンスと、研究室で日々向き合うサイエンスは、実は性質が全く違うものなんじゃないか、ということです。
今回はこの2つのサイエンスを「出会いのサイエンス」と「研究のサイエンス」と名付けて、整理してみたいと思います。筆者の造語なので、もし他の場面で似た言葉を耳にしても混同しないでくださいね。
⸻
出会いのサイエンス
まず、私たちがサイエンスに惹かれたきっかけを振り返ってみましょう。
多くの人は、科学館や図鑑、テレビのニュースで見た壮大な話に心を動かされたのではないでしょうか。宇宙の成り立ち、生命の起源、AIが変える未来。でんじろう先生の実験を見て「うわ、すごい!」と目を輝かせたり、ヨビノリたくみさんの動画で「数学ってこんなに美しいのか」と感動したり。
こうしたサイエンスには共通点があります。それは、すでに先人たちによって解明され、体系化された知識であるということです。
「なぜ空は青いのか」「なぜものは落ちるのか」「なぜ食べ物は腐るのか」──こうした疑問は一見シンプルですが、その答えは何世代もの科学者たちが積み上げてきた知の結晶です。私たちはその成果を、分かりやすく整理された形で受け取っているわけです。
このサイエンスの特徴は、俯瞰的で、ワクワクして、未来を感じさせてくれること。私たちに「サイエンスって面白いかも」と思わせてくれる、いわば入口としてのサイエンスです。だから「出会いのサイエンス」と呼んでみます。
⸻
研究のサイエンス
一方で、研究室に入って日々向き合うサイエンスは、全く違う性質を持っています。
研究で扱うのは、まだ誰も解決していない問題です。教科書には載っていない、論文を読んでも答えが見つからない、そんな未開拓の領域。仮説を立てて実験して、うまくいかなくて、また仮説を立て直して。その繰り返しです。
ここで思い出すのは、漫画『チ。─地球の運動について─』です。この作品は、地動説を信じて命がけで研究を続けた人々の物語。当時、地動説は「正しいかどうかわからない仮説」でした。それでも彼らは、自分が信じた仮説のために人生を賭けた。
研究とはまさにそういうものです。自分が追いかけている仮説が正しいかどうか、誰も保証してくれない。それでも研究者たちは、その仮説を信じて前に進んでいく。
このサイエンスを「研究のサイエンス」と呼んでみます。
⸻
研究のサイエンスの光と影
研究のサイエンスには、独特の魅力があります。
誰もやっていない領域を、自分の手で切り拓いていく。新しい知見を世界に生み出す。「この発見は自分が広げたんだ」という達成感。これは出会いのサイエンスでは味わえない、研究者だけが知る喜びです。
でも同時に、難しさもあります。
1つのテーマを深く追い続けると、気づけばその世界しか知らなくなっていく。もしかしたら隣の分野に、自分がもっとワクワクできる科学が隠れているかもしれない。でも、それに気づく余裕がない。1つの専門性に囚われて、多角的な視点を持ちにくくなってしまう。
そして、研究を続けるモチベーションも変化していきます。最初は純粋な知的好奇心だったはずなのに、いつの間にか「自分が広げる」という達成感がメインになっていたりする。それ自体は悪いことではないけれど、サイエンスへの純粋な好奇心とは少し違うものかもしれません。
⸻
「なんか違う」の正体
ここで、冒頭の違和感に戻りましょう。
「サイエンスが好きだったはずなのに、なんか違う」
この感覚の正体は何なのか。筆者はこう考えています。
私たちは「出会いのサイエンス」に惹かれてこの道に進んだ。ワクワクする発見、壮大なスケール、知的な興奮。でも、研究室で日々向き合うのは「研究のサイエンス」。まだ答えのない問い、地道な実験、不確かな仮説。
このギャップに気づかないまま研究を始めると、「あれ、思ってたのと違う」という違和感を抱えることになる。
もちろん、研究それ自体の大変さもあります。忍耐力が必要だし、成果が出ない時期は精神的にもきつい。でも、それだけじゃない。
分野全体を俯瞰すると確かに面白い。でも、自分が今やっているテーマは本当に面白いのか?既存研究と似ていないか?「誰もやっていない」と「インパクトが大きい」を両立するテーマなんて、滅多に見つからない。
研究は短期間で連続的に成果を出していく必要があります。壮大な夢を語るだけでは前に進めない。だから、どうしても地道で細かい作業の連続になる。
サイエンスが好きで進んだはずなのに、面白くないと感じてしまう。そのカラクリは、ここにあるんじゃないかと思うんです。
⸻
サイエンスとの向き合い方は一つじゃない
じゃあ、どうすればいいのか。
筆者が伝えたいのは、サイエンスとの向き合い方には多様性があっていい、ということです。
研究活動は、サイエンスの世界を「深めて」くれます。1つのテーマについて、誰よりも詳しくなれる。でも、研究活動が世界を「広げて」くれるかというと、それは保証されていません。
筆者自身は、自分の手で新しい領域を切り拓くことよりも、知的探求──つまり、新しいことを知れること自体に面白さを感じるタイプです。分野を俯瞰して、「へえ、こんな研究があるんだ」「この技術とあの理論がつながるんだ」と発見する瞬間が好き。
だから、研究者として深めていく道だけがサイエンスへの関わり方ではないと思っています。発信者として広げていく道もある。教育者として伝えていく道もある。開発者としてエンジニアとしてものづくりしていく道もありますね!どれも「サイエンスが好き」の形です。
もし今、「なんか違う」と感じているなら、それは自分に合ったサイエンスとの向き合い方を探すサインなのかもしれません。研究が合わないからといって、サイエンスが嫌いになったわけじゃない。ただ、向き合い方を変える時期が来ただけかもしれない。
自分に合った関わり方を見つけていい。そう思えるだけで、少し気持ちが楽になるんじゃないでしょうか。
⸻
おわりに
今回は「出会いのサイエンス」と「研究のサイエンス」という2つの視点から、サイエンスとの向き合い方について私なりに考えてみました。
抽象的・概念的な話なので明確なエビデンスがあるわけではありませんが、この記事が同じような違和感を抱えている誰かの参考になれば嬉しいです。
ちなみに、概念を提唱するだけでは説得力に欠けるので、仮説を立てて検証するというプロセスが研究には求められます。そういう意味でも、研究とは興味深い営みですね。これについても今後深掘りできたら面白そうです。
それでは、また次の記事で!

